人文学部


大野淳一 教授


大野 淳一(おおの じゅんいち)

■略歴

1970年 東京大学文学部国語国文学科卒業
1976年 同大学院博士課程満期修了
1976年 東京女子大学短期大学部専任講師
1979年 武蔵大学人文学部助教授
1985年 同教授(現在に至る)
この間、中国・南開大学、韓国・同徳女子大学大学院、同高麗大学大学院、トルコ・アンカラ大学などで講義。

■主要著作・論文・研究活動など

1987年 三好行雄編『近代日本文学史必携』学燈社
1994年 「『三四郎』の東京、『青年』の東京」『武蔵大学総合研究所紀要』第4号
1996年 「『満韓の文明」その他の談話をめぐって」岩波書店「漱石全集」月報22
1999年 「中西伊之助『不逞鮮人』ノート」『武蔵大学総合研究所紀要』第9号
2001年 「『現代日本の開化』と現代アジアの開化」『武蔵大学総合研究所紀要』第10号

■専門・所属学会・その他前年の主要社会活動

日本近代文学会所属

■メッセージ

主要著作などの欄には漱石と東アジア関係のものが並びましたが、学生時代から漱石を中心に日本の小説を専攻してきて、論文もいろいろ書きましたが、平成版『漱石全集別巻』(岩波書店)や『こころ』(岩波文庫・新潮文庫)『吾輩は猫である』(新潮文庫)の注釈など、作品を細かく読んで行こうというのを本来の方法としていました(ついでに、新潮文庫『行人』では解説・注釈とも担当しましたから、読んでおくと講義や演習の予習になります)。それが「現代アジアの開化」云々というような過大な(?)ものを書くようになったのはやや脱線ですが、これも漱石と無関係ではなくて……というようなことは教室でゆっくり話すつもりなので、ここでは少しだけ。漱石が明治時代の留学生だということはみんな知っているでしょう。留学先はロンドンですが、当時は船便ですから、中国も東南アジアも、紅海もパリも通過点で、さまざまな観察をしています。作家になってからも、日露戦争後の満洲と朝鮮半島を旅行して、『満韓ところどころ』という文章を書いています。西洋の圧迫に苦しむ『現代日本の開化』について講演する直前、日本の主導で開化が進む彼の地の「不揃いのハイカラ」も目撃しているわけす。
ここ数年海外の大学で講義することが多くなりました。上に掲げた「『現代日本の開化』と現代アジアの開化」も南開大学(中国)での講義が元になっています。その他、経歴欄に書いたどの大学でも、講義・質疑とも日本語でした。04年のアンカラ大学での集中講義では大学院生から学部の1年生まで出席していて、質問に立つのは上級生や院生でしたが、かなり専門的なことを流ちょうな日本語で質問し、こちらも資料を確かめながら答えるというやりとりをしました。日本から持って行った明治初期の本(まだ木版、多色刷りの、江戸時代のような本)も役に立ちました。問答が終わると、質問者は下級生のためにその内容をトルコ語で説明していました。05年に1年間滞在した高麗大学では、Global Korea Universityというキャンペーンを推進中でしたが、そのため英語による授業が非常に増えたということでした。ある日学部の学生が研究室に話しに来て、「あのキャンペーンのせいで日文科でも日本語の授業が多くなって、韓国人の先生の講義も日本語でやるのが多いンですよ。友達はみんな日本語が上手だから良いンですが、ぼくなんか困ってるンです」と、しばらく日本語で(!)ぼやいていきました。もちろん「それだけできるンなら、大丈夫だよ」と答えておきましたが。
皆さんに知っておいてほしいのは、こうした熱心さで日本研究に取り組んでいる人たちが海外の大学にいるということです。われわれも、日本人だから日本のことはわかる、近いから東アジアもわかる、というような根拠薄弱な自信(?)は捨てて、しっかり勉強するという覚悟を持ちましょう。
それから専攻に関係なく、積極的に海外に出かけてみましょう。必ず何か良い発見があります。武蔵には提携校も多く、さまざまな留学のチャンスが用意されています。一度国際センターへ行って、話を聞いてみてください。