日本・東アジア比較文化学科の専任教員から、受験生・在学生への、短いメッセージです。(順次掲載予定)
- 1→漆沢その子(日本芸能史・文化史)
- 2→アダム・カバット(近世・近代日本文学)
- 3→渡辺直紀(韓国文学・現代韓国論・韓国語)
- 4→西澤治彦(文化人類学・中国研究)
- 5→大野淳一(日本近現代文学)
- 6→八木清治(日本近世思想史)
- 7→小川栄一(日本の言語文化)
- 8→瀬田勝哉(日本中世史・日本社会文化史)
- 9→黒岩 高(中国史・中国イスラーム)
- 10→宮本袈裟雄(日本民俗学)
- 11→丸山伸彦(日本文化史・服飾史)
- 12→古橋信孝(日本文学)
- 13→伊東貴之(中国思想)
漆沢その子(日本芸能史・文化史)
“「残酷」な現実”、“「夢」のような嘘”― 皆さんならどちらを選びますか?古くは白拍子の舞から、能・歌舞伎、宝塚、さらにはJPOPの浜崎あゆみに至るまで、芸能は“「夢」のような嘘”で私たちの“ココロ”を癒し、現実を忘れさせてくれる一瞬を提供してくれます。皆さんと一緒に芸能史の勉強をしながら、芸能という“「夢」のような嘘”をもとに、様々な時代社会の生きる人々の“ホントの気持ち”に迫っていきたいと思います。
アダム・カバット(近世・近代日本文学)
私の専門は江戸時代の文学と風俗ですが、主に化け物という観点から見ています。というわけで、最近「妖怪博士」と呼ばれるようになりました。複雑な気持ちですが、一応ほめ言葉だと思いましょう!さて、みなさんは「妖怪」と聞いてどのようなイメージがわいてきますか。妖怪は日本独自のものなのか、それとも文化を越える普遍的なものなのか。このような問題をみなさんと一緒にじっくりと考えてみたいと思います。
渡辺直紀(韓国文学・現代韓国論・韓国語)
武蔵大学でいっしょに韓国・朝鮮語を学んで、韓国に現地実習に行ってみたり、武蔵に来ている韓国人留学生たちと楽しく交流したりしてみましょう。みなさんもきっと彼らのパワーを目の当たりにして、自分のこれまでを振り返り、その後の自分を変えるきっかけを見つけるでしょう。私たちの大学・学科には、みなさんのそのような学生生活を支える多様なシステムが整っています。カッチ・ヘ・ボプシダ!(一緒にやってみましょう!)
西澤治彦(文化人類学・中国研究)
日本と中国は同じ漢字を用いているために、似たような文化であると考えがちですが、中国は、世界観、親族組織、社会組織など基本的な部分で全く異なる「外国」です。料理をとっても、日本料理と中国料理は全く違うでしょう。中国社会の特徴は、多様性を抱え込んだ巨大な複合社会であり、それが数千年も永続している点です。それだけに中国研究は興味がつきません。文化人類学の視点を足がかりに、一緒に中国社会の奥深くに分け入ってみませんか?
大野淳一(日本近現代文学)
明治の小説を中心に勉強してきましたが、いまなぜか韓国・高麗大学に滞在中です。自分の関心が日本の近代からアジアの近代に広がって行くとの、この新しい学科ができたのが共鳴した形になりました。日本や アジアの近代については『現代日本の開化』という漱石の古典的な文章がありますが、それからもう1世紀、漱石に甘えず、漱石後の百年を考えようというのがいまの主題です。
八木清治(日本近世思想史)
近世(江戸時代)の思想史を専門にしていますが、思想そのものを純粋に分析するというより、文化や社会との関係で思想をとらえられるようにつとめています。文化史のテーマである「旅」、最近では「馬」についても関心があります。昔、豚に歴史はないといった学者がいたそうですが、馬には立派に歴史があります。みなさんとともに馬の文化や歴史を学んで、やがて「馬」にも思想がある?ことを証明してみたいですね。
小川栄一(日本の言語文化)
日本語の歴史について、その背景にある言語コミュニケーションの活動を視野に入れながら研究を進めています。これまでは平家物語を資料にして、中世語の研究に取り組んできました。この研究が一段落したので、今は近代に関心を抱いています。近代は言文一致や標準語の制定など、日本語の統一が行われようとした時期で、その過程において様々な文体が登場しました。漱石の作品を読んでも江戸っ子から、方言の使い手など、様々な言葉づかいをする人物が登場します。近代は日本語の歴史においても面白い時期なのです。皆さんも言葉の問題に興味をもちましょう。面白いですよ。
瀬田勝哉(日本中世史・日本社会文化史)
巨木イチョウを調べて全国を歩いています。巨樹・巨木イチョウの一本一本を全て測定し直し、DNA鑑定でグループ分けしている植物学者から、歴史・文化のことは頼むといわれたからです。武蔵で「木ゼミ」というかわったゼミをやっていることが、植物学者の目にとまったのでしょう。二十年以上つづけたこのゼミも来年度で終わりです。最後の年、君たち、ぜひ入ってみて下さい。
黒岩 高(中国史・中国イスラーム)
専門は中国ムスリム(イスラーム信徒)の歴史です。中国ムスリムといえば、中国では少数民族、イスラーム圏では辺境、すごくマイナーな分野に見えますよね。でも、どうでしょう、指の間から見る風景がひどく鮮明に映ることがあるように、視点を限ってこそ見えるものもあるんです。小さな「のぞき窓」だからこその中国やイスラーム世界。顕微鏡や望遠鏡もそんなところがあるでしょう?自分なりの先鋭的な視点、一緒に探してみ見ませんか?
宮本袈裟雄(日本民俗学)
私は民俗学を専門としており、授業では日本民俗史、同演習、民俗宗教論、同演習を担当しています。皆さんは、学問といえば、古文書や小説など文字に書かれた史資料を分析し結論を導き出すものと思っているのではないでしょうか。民俗学は異なります。昔話、伝説、諺など、言葉によって伝えられてきたものや、食べる、寝る、着る、働くなど、人びとの行為、行動を主たる資料として分析します。どのように分析し、何を明らかにするのでしょうか?
丸山伸彦(日本文化史・服飾史)
今、どんな服を着ていますか。なぜ、その服を選んだのですか。どんなにファッションに敏感でも、人は「なぜそれを着ているのか」とかという基本的な問題には意外に無頓着です。私は日本の服飾や染織を美術史的立場から研究していますので、ゼミでは一年次から江戸時代のキモノに関わる図像資料を用いて、その文様の意義を探ることを課題としています。過去の衣生活には現代のファッションの根幹を捉えるヒントが隠されています。一方、今日のファッションには過去の衣生活を見据える視座が内包されています。日常から歴史への旅。あなたも武蔵でこの旅に参加してみませんか。
古橋信孝(日本文学)
古典文学を専門にしています。なぜ古典かというと、今を知るためです。今を知るには、今を客観視しなければなりません。その方法として、古典文学や歴史、文化史などを考えてきました。君たちの先輩の学生が、武蔵で一番考えさせる授業だといっているのを耳にしたことがあります。次々に新しい問があなた方に発せられるということらしい。今最もたいせつなのは、ものを考えることです。そのためには、知識や態度が必要ですが。そして、ちゃんと考えたり、感じたりするには鍛錬が要求されます。そういう講義や演習をやっているつもりです。
伊東貴之(中国思想)
皆さんは「中国人」と聞いて、どのような人びとを連想しますか?私たち日本人とも顔かたちのよく似た、圧倒的多数の漢民族(中国では漢族という)のほか、現在の中国の領域内には、モンゴル・ウイグル・チベットなど、独自の歴史や文化、言語を有する多くの「少数民族」が居住しています。また海峡を隔てた台湾は、現代の国際政治を考える上で、見逃せない存在です。その他、世界中のチャイナ・タウンに住む人びとの多くも、自分が「中国人」であるというアイデンティティを持っています。こうしたことは、島国に住む日本人には、想像しにくいことかも知れません。皆さんもこうしたグローバルな規模で、日本や中国、韓国・朝鮮など、東アジアの歴史や文化、社会の問題にアプローチしてみませんか?
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