日本・東アジア比較文化学科の専任教員が自著について語っています。(順次掲載予定)
- →『思想としての中国近世』
伊東貴之著 - →『明治歌舞伎の成立と展開』
漆沢その子 - →『庶民信仰と現世利益』
宮本袈裟雄 - →『中国という視座-これからの世界史』
溝口雄三・村田雄二郎・伊東貴之共著 - →『江戸滑稽化物尽くし』
アダム・カバット - →『妖怪草紙―くずし字入門』
アダム・カバット - →『大地は生きているー中国風水の思想と実践』
聶莉莉・韓敏・曽士才・西澤治彦共編 - →『中国映画の文化人類学』
西澤治彦 - →『アジア読本・中国』
瀬川昌久・曽士才・西澤治彦共編 - →『東南中国の宗族組織』
M.フリードマン著、末成道男・小熊誠・西澤治彦共訳 - →『中国食物事典』
田中静一・小川久恵・西澤治彦共編
『思想としての中国近世』
伊東貴之著 東京大学出版会、2005年6月

皆さんは、中国の長い歴史のうちで、どの時代に興味や関心がありますか?
取り分け春秋戦国時代の諸子百家や三国志の英雄たち、発展する現代中国の経済や社会に関心を持つ人は、それなりに多いことと思います。しかしながら、日本にとって、現代以外では、歴史上、経済的な交流が最も盛んで、朱子学・陽明学といった儒教や仏教など、思想・文化的な側面においても深い影響を受けた中世や近世の時期については、一般的な関心は何故か余り高くありません。
本書は、こうした時代に焦点を当てて、「中国」という文明世界のダイナミズムの一斑を描き出しました。
さて、いわゆるユーロセントリズム(西欧中心主義)が、近代以降の世界の文化や文明の在り方を深く規定している現状のもとで、日本もまた、明治期以降、西洋起源の学問や政治制度、価値観などを最早、自明なものとして受け容れてきました。そのため、現代の多くの日本人にとって、儒教や儒学的教養は、全く疎遠なものであるか、せいぜいのところ、封建道徳や仁義・忠孝といった、通俗的な先入観なしには思い描けないものと化しています。
しかしながら、歴史的な文脈に置き直して、実際の儒教思想をよく検証してみると、そこには、政治や社会に対する透徹した洞察や、人間性への鋭い感受性などが、少なからず発見されます。もちろん、中国や朝鮮・韓国、日本といった国や地域、また時代によって、その具体的な在り方には、かなりの差異も見られますが、それは、古代中国が生んだ叡智であるとともに、広くは前近代(近代以前)の東アジアにおける共通の世界観や知的遺産として、私たちの遺伝子の奥深くに組み込まれていると言っても過言ではありません。
また、歴史的には、西欧以外の多くの国や地域において、「近代化」や「文明化」とは、取りも直さず「西欧化(西洋化)」を意味しました。同時に今日では、ようやくそうした見方に、一定の反省や留保を加える気運が高まっています。西欧的な近代へと至る道筋だけが、人類にとって唯一の進歩や発展の経路なのではなく、それぞれの国や地域、民族には、それぞれに独自の近代化や文明化の過程があった、そして、そうした様々な文化や文明の価値には、単純な優劣はない、という考え方が、次第に市民権を得るようになってきたのです。
本書では、直接的には「中国」の「近世」と呼ばれる時代(ほぼ11~18世紀、王朝的には宋・元・明・清という長い時代)を扱いながら、その背後に、私自身のこうした問題意識と読者の皆さんへの問題提起を含んでいます。
具体的には、このホームページでも御紹介した前著『中国という視座』(溝口雄三・村田雄二郎との共著、平凡社・1995年)の後を受けて、宋代以降、取り分け明・清時代の儒教を中心とした基層社会の在り方を「礼教社会」「礼治システム」として捉え、現実の政治や社会のダイナミズムとも関連させつつ、分析を加えています。当時、儒教の教説の理論的なレヴェルでは、朱子学・陽明学・考証学などのさまざまな展開が見られますが、その実践的・社会的な側面にスポットを当てるなら、こうした「礼教」が、より広い範囲の人びとに浸透していく過程こそが、中国的なある種の「文明化」であり、「近代化」でもあったことを、全体を通じて論証しようと試みています。
加えて、「礼」という言葉それ自体は、今日の日本でも日常的によく使われる語彙ですが、歴史上の中国での用法や実態は、当然、これとは大きく異なっています。この辺りにも、「中国」という文明世界を解く鍵がありそうです。そのほか、先に述べた「礼教」にもとづく社会の在り方や儒教的な思想は、近代以降、本家の中国でも、否定と克服の対象として、激しい批判や攻撃に晒されてきました。この間には、どのような経緯や屈折があるのでしょうか? また、現代の中国は、過去の中国のこうした遺産と全く無関係に存在しているのでしょうか?
更に進んで、こうした問題についても、読者の皆さんに一緒に考えて頂ければ幸いです。
『明治歌舞伎の成立と展開』
漆沢その子

皆さんは、歌舞伎という芸能を江戸時代から変わることなくつづいている、江戸の残光のように思い込んでいませんか?今現在、私たちが目にしている歌舞伎の多くの部分-例えば食堂やお土産屋さんまである劇場の構造や芝居のストーリーを中心とした観劇方法、照明効果を駆使した演出(当然江戸時代には電気はありません)に、果ては心理描写に重点をおいた役者の芸に至るまで、ことごとく西欧文明の洗礼を受けた末に考案された、「新しい伝統芸能」としての歌舞伎にほかなりません。
にもかかわらず、近代以降とりわけ明治時代の歌舞伎は、これまであまりかえりみられることなく、また消極的な評価が与えられることが多かったといえます。本書は、この明治時代の歌舞伎を「新しい伝統文化」としての歌舞伎の原点と見なし、その時代的特徴を劇場・上演演目(狂言)・役者という3つの要素から詳細な検証を試みた作品です。
「明治の御代」に生きる歌舞伎関係者たちは、西欧文明に目を見張りながらも貪欲なまでにこれを移入しようとした一方で、江戸時代からつづく「演劇」的所産の温存にも努めようとする。いかに新たな時代のなかに歌舞伎を息づかせようとしていたのか、そんな彼らの苦闘ぶりを読みとっていただければ幸いです。
単著 慶友社 2003年
『庶民信仰と現世利益』
宮本袈裟雄

本書は、1980年代後半から1990年代前半の約10年間に、雑誌や事典類に執筆した論考のなかで、現世利益(げんぜりやく)、つまり病気は災厄から回復をはかるための信仰、あるいは日常生活の安穏と一層の幸福を求める信仰、別の言葉でいえば、「生者のための信仰」について論じたものを、一般の読者に理解してもらうように加筆訂正して一冊にまとめたものです。禁忌(タブー)・呪術などの俗信、稲荷(いなり)信仰、天狗や修験道(しゅげんどう)、怪異(かいい)現象、祟(たた)り、福神信仰などが主要な内容です。
私は民俗学、なかでも民俗宗教研究を専門としていますが、これまでは民俗宗教の中核に氏神系信仰〔鎮守、産土(うぶすな)神)、家の神など〕と、祖霊信仰とがおかれ、現世利益は民俗宗教がもつ性格の一つと位置づけられてきました。本書では、祖霊信仰と並置すべき信仰として現世利益信仰を考えるべきであるという立場からまとめてみました。ただし民俗宗教関係には特殊な用語もあり、やさしくまとめたつもりですが、どの程度理解していただけたでしょうか。
単著 東京堂出版 2003年
『中国という視座-これからの世界史』
溝口雄三・村田雄二郎・伊東貴之共著

北京市南郊に天壇という遺構があります。これは、明清時代に皇帝が「天」を祀った場所です。
中国の「天」は、西洋の「神」とは大分、性格が異なりますが、やはりあらゆる価値や権威の源泉なのです。この「天」を祀る儀式は、天子と呼ばれた皇帝だけの特権でした。しかし、反対に地上での絶大な権威と権力を誇る皇帝でさえ、「天」に対しては額ずかなくてはならなかったのです。
幾多の英雄や豪傑が繰り広げた壮大な中国の歴史。それを俯瞰するように蒼々とした「天」が果てしなく拡がります。それに比べれば、人間世界の出来事は何とも卑小なものです。
日本でも、江戸時代などには大いに学ばれた朱子学や陽明学。これらの思想では、この「天」に起源するとされた「天理」ないし「理」という概念がキーワードになります。それは、自然界の法則性や人間世界の道徳的な規範を意味しました。中国近世の思想世界は、この「天理」ないし「理」を軸として展開したと言っても過言ではありません。 他方で、この「理」に基づいて古代の「聖人」と呼ばれる人びとが創作したとされる「礼」が、現実の社会を形づくるコードとして、実際に適用されました。そして、朱子学や陽明学の民衆化は、この「礼」の適用範囲を飛躍的に拡大し、「礼教社会」とも言うべき伝統中国の独特の社会の在り方を生み出しました。
朱子学や陽明学では、この「天」や「理」や「礼」といった言葉に、哲学的・思想的にも重い意味を込めて用いましたが、こうした言葉は元来、中国ではごくありふれた日常語でもありました。本書では、こうした言葉が絡み合いつつ、実際の歴史社会を規定してゆく動態を「礼治システム」というキーワードを軸に解析してみました。
本書は、私自身の敬愛する恩師と先輩でもある、溝口雄三、村田雄二郎の両氏との共同作業の成果です。皆さんが常識と考えている、現代の日本や欧米の価値観や感性とは異質な、中国という文明世界を理解する一助になれば幸いです。(伊東貴之)
共著 溝口 雄三・村田雄二郎・伊東貴之共著 平凡社 1995年
『江戸滑稽化物尽くし』
アダム・カバット

本書は今年の三月に出版された最新作です。十年間近くの研究をまとめた一冊なので、特別な思い出があります。江戸時代の黄表紙に見られる化物像を「笑い」の視点から分析しています。
黄表紙とは、大衆文学の一種であり、各ページに絵と文があるところから現代の漫画と似ています。その当時の社会や流行などをパロディー化するのも、黄表紙の大きな特徴です。そして黄表紙のなかでは、化物がたくさん登場します。多くの話では、化物は人間を脅かすことよりも、人間を真似しようとします。つまり、田舎の化物たちが江戸に出掛けお洒落になろうと頑張りますが、しょせん化物ですから、必ず失敗します。このように、化物という「異文化」を通して、江戸時代の生活様式や価値観などが見え隠れするのです。
ユーモアの本質や普遍性を明らかにするのも、本書の一つの狙いですが、笑いを合理的に論じれば論じるほど、笑いそのものがどこかへ消えてしまう危険性があります。現代の読者も、江戸時代の読者と同じような気持ちで黄表紙の世界を味わって貰いたいという思いを込めて書いてみました。本を読みながら、ぜひ声を出して笑ってください!
単著 講談社選書メチエ 2003年
『妖怪草紙―くずし字入門』
アダム・カバット

江戸時代に刊行された「草双紙」(絵入り本)のくずし字の基礎的な知識を学ぶ教科書です。今までの「古文書」の本はいきなり難しい文章から始まりますが、本書は外国語の教科書と同じように、「ステップアップ方式」を使っています。つまり、基本的なくずし字やそのバリエーションを順を追って説明しています。また文章の読み方や草双紙の知識を紹介し、ステップアップできるように組み立てました。チェックや練習問題もありますので、かなり本格的ですよ!
もう一つの工夫は、「妖怪」を案内人としたことです。笑わせるような可愛らしい(?)妖怪の絵を見ながら、くずし字を勉強します。分かりやすくて楽しい本にしようと心に決めました。今年の「専門基礎演習」で初めて使ってみました。学生たちの進歩を見るのは大きな楽しみです。(アダム・カバット)
※本書に対する書評はいくつかありますが、カバット先生お気に入りの書評を一つ紹介しておきます。
単著 柏書房 2001年
『大地は生きているー中国風水の思想と実践』
聶莉莉・韓敏・曽士才・西澤治彦共編

本書は、中国各地で復活している風水の実態について、各地でフィールドワークを行ってきた若手研究者らに、それぞれの調査地での風水の実戦について、報告を寄せてもらったものです。一読いただければ、中国本土の各地における風水の復活のもようが手に取るように分かるでしょう。また、各地に伝わる、風水に関する民話も集録しています。
共編 聶莉莉・韓敏・曽士才・西澤治彦共編 てらいんく 2000年
なお、本書の刊行を期して、2000年に「仙人の会」で、シンポジウム「風水からみた中国社会のダイナミズム」が開かれました。以下、ご参考までに、その時のシンポジウムの概要について紹介しておきます。
シンポジウム開催の趣旨
このたび聶莉莉・西沢治彦・韓敏・曽士才(編著)『大地は生きている―中国風水の思想と実践』なる一書が刊行の運びとなりましたが、仙人の会の会員が多数執筆しています。本書は、風水という中国文化の根底を流れる基本的な思想に焦点を当て、文化人類学の視点から、風水と結びついた中国社会のさまざまな現象を分析しようとしたものですが、全国各地の多様な風水実践の姿をあぶり出すなど、一定の成果をあげたと著者一同自負しているところです。
本書の出版は日本における風水研究の新たな段階を予兆させるものですが、本シンポジウムがこのような「予兆」の先駆けとなればというもくろみがあります。シンポジウムでは『大地は生きている』の内容を踏まえ、全体をサーベイするような議論やさらに踏み込んだ比較分析の試みがなされることを期待するものです。
プログラム
主催:仙人の会
日時:2000年 6月18日(日)13:00~17:30
場所:法政大学ボアソナード・タワー25階会議室B
問題提起:西沢治彦(武蔵大学教授)
発表者:
水口拓寿(東京大学大学院生) 「風水思想の流れ」
何彬(東京都立大学助教授) 「江浙・福建の風水実践」
謝茘(法政大学専任講師) 「四川の風水実践」
志賀市子(東京成徳大学専任講師) 「香港における風水実践」
曽士才(法政大学教授) 「ミャオ族における風水信仰」
フロアーとのディスカッション(90分)
コメンテーター
末成道男(東洋大学教授)、吉野晃(東京学芸大学助教授)
総括コメンテーター:渡辺欣雄(東京都立大学教授)
『中国映画の文化人類学』
西澤治彦

中国映画界では、1980年代後半以降、いわゆる「第五世代監督」と呼ばれる若手の監督らが台頭し、中国映画のニュー・ウエーブが巻き起こった。1985年、私は留学中の南京において、その記念すべき最初の作品である、陳凱歌監督の『黄色い大地』をみることとなった。今にして思えば、現地で中国ニュー・シネマの誕生を見届けることができたわけで、幸運な出会いであった。そしてはじめて書いた評論が、本書のプロローグとして収められている一文である。現地での感動を日本の読者に伝えたかったのも事実だが、農村調査に必要な費用を捻出したい気持ちもあった。収入のない大学院生にとっては、数千円の原稿料でも、当時の中国ではかなりの額になったのである。
その後、帰国し、武蔵大学で地域研究という授業を担当し、中国ニュー・シネマを、民族誌としてとらえる視点から、学生諸君とともに中国映画の名作をみてきた。そこで改めて、中国研究者の立場からの、解説や評論が必要なことを痛感し、中断していた評論の執筆を再開した。そしてそれから3年の歳月をかけて、最終的に本書を完成させることができた。本書のあとがきでも触れているが、この意味で本書の後半部分は、学生諸君との共同作業的な意味合いもあり、学生諸君には感謝している。
単著 風響社 1999年
『アジア読本・中国』
瀬川昌久・曽士才・西澤治彦共編

河出書房新社の「暮らしがわかるアジア読本」シリーズの全16冊の中の一冊として編集・刊行されたものです。本シリーズを企画・担当した河出書房新社の三村さんが、大学で文化人類学を学んだ経歴もあって、人類学に対して理解が深く、本シリーズでも多くの人類学者を起用し、自由に書かせてくれました。
特に「中国」では、編者の3人も若かった(8年前は...)せいもあり、妥協を許さず、我々が理想とする構成案を練り、三村さんに示しました。編集段階ですでに「インドネシア」が出版されていましたので、我々編者もこれを熟読し、大いに参考とさせてもらいました。
中国は他のアジアの国々と違って巨大な社会であるゆえ、原稿枚数も増やして欲しいと交渉しました。三村さんもこのことを認めてくれ、「中国」は他の国々よりページ数が若干多くなっています。(それでいて定価は他と同じにおさえていますから、「お得」となっています。)それでも広大な中国をカバーするには足りません。そこで書き足りない部分は「コラム」を多数掲載して、不足分をカバーするように努めました。シリーズの中では「中国」が一番「コラム」の数が多くなっているかと思います。
執筆者を選ぶ際には、中国での留学経験がある日本人か、中国からの留学生にお願いしました。また、なるべく若手(これも当時の話しですが...)の研究者らに執筆をお願いしました。結果として皆さんが力作を寄せてくださり、編者の思い通りの本を作ることができました。これもひとえに各執筆者の皆さんのおかげであります。
内容も読んでいただければ分かると思いますが、各方面から中国社会の多様な姿が照射されるように目論まれています。人類学者が陥りがちな、村レベルの底辺の記述で終わることなく、それらが巨大な国家組織にどのように結びつけられているか、といった問題にもめくばりをしたつもりです。結果として、どのテーマであれ、都市-農村関係が浮き彫りになる形にもなっています。
これから中国について学ぼうとする学生には、本書は恰好の入門書となっていると思います。私自身も授業の課題図書に指定してきましたが、google で本書を検索してみると、多くの大学でテキストとして使われていることを知りました。おかげさまで日本図書館協会選定図書にも選ばれ、大学以外の公共図書館でも多く購入していただいているようです。このため、「中国」もすでに第5版を重ね、シリーズの中では、「インドネシア」と並んで「中国」が最も売れているとのことでした。
改革開放で中国社会も急速に変化しており、改訂や増補版の話しもなくはありませんが、中国社会の本質的な部分はそう簡単に変わるものではありません。8年前に我々が描き出した中国社会の姿が、今後、何年間、「有効」であり続けるのか? これは、どれだけ当時、我々は中国社会の本質をとらえていたのか、という問いかけにもなります。その意味では、現行の本が、これからも読み続けられることを願う気持ちもなくはありません。
共編 瀬川昌久・曽士才・西澤治彦共編 河出書房新社 1995年
『東南中国の宗族組織』
M.フリードマン著、末成道男・小熊誠・西澤治彦共訳

イギリスの人類学者、Maurice Freedman 1958 Lineage Organization in Southeastern China の邦訳。フリードマン自身は中国本土に足を踏み入れたことがないが、文献研究により、中国の宗族組織と社会や国家との関係などの問題について論じ、その後の中国の宗族研究や中国人類学に多大な影響を残した。
フリードマンの着眼点の背後には、それまでのイギリス社会人類学のアフリカ社会に於ける研究成果があった。即ち、国家組織を持たぬアフリカ社会においては発達したリニージ組織が政治的な統合の役割を果たしているが、では高度に発達した中央集権国家である中国において、宗族組織はどのような形態をとり、どのように機能しているのか? という問いかけからはじまっている。文献研究でありながら、フリードマンの「リニージ・モデル」がこれだけの深みと影響力をもっているのは、この比較の視点があるからでもあろう。
その後、彼は香港新界を訪れる機会があり、本書の続編といもいえる、1966 Chinese Lineage and Society: Fukien and Kwangtung を出版している。本書も弘文堂から、田村克己・瀬川昌久共訳で『中国の宗族と社会』と題して邦訳が出ている。この二冊の邦訳により、フリードマンの中国リニージに関する基本的著作が日本語で読めることとなった。なお、二冊を読む場合には、最初にモデルを提示している『東南中国の宗族組織』の方から読むことをおすすめする。
なお、邦訳作業を通して見えてきたフリードマン・モデルに関して、瀬川昌久氏との共著で、以下の文章を書いているので、関心のある方は参照いただきたい。「M・フリードマンの宗族モデルの形成とその変遷-二冊の主要著作の邦訳刊行によせて」『民族学研究』56-3
共訳 末成道男・小熊誠・ 西澤治彦共訳 弘文堂 1991年
『中国食物事典』
田中静一・小川久恵・西澤治彦共編

本書は、田中静一氏がかつて書籍文物流通会から出版し、先駆的な事典として高い評価を受けていた『中国食品事典』の全面改訂版です。田中氏が、旧著の改訂版を出すべく協力者を探されていたとき、熊倉功夫先生の紹介で、私が一部をお手伝いさせていただくこととなりました。執筆に際しては、田中氏が所蔵しておられた中国食品関係の貴重な書籍を惜しみなく活用させていただきました(これらの書籍は全てその後、味の素の食文化センターの図書館に寄贈されています)。
私がお手伝いしたのは、果物・酒・薬膳の項目の執筆と、付録の中国語文の邦訳、全項目のピンインのチェックです。地味で基礎的な作業でしたが、この仕事を通していろいろと勉強をさせてもらいました。
専門的で高価な本にもかかわらず、中国料理関係のプロの方々が購入されているらしく、この手の事典にはめずらしく、3刷りまで出ています。日本では唯一の総合的な中国食物事典であることも関係しているようです。なお、本書の中国語訳が、1993年に中国商業出版社から刊行されましたが、我々の事典が本場の中国に「逆輸入」されたかと思うと、誇らしくもあります。
共編 田中静一・小川久恵・西澤治彦共編 柴田書店1991年(中国商業出版社より、中国語訳出版 1993)
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